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大和朝廷全盛の時期
(500年頃) |
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朝廷直轄の屯倉(みやけといい、穀物を貯蔵管理する場所。全国に160箇所あるなかの1つ)が敷かれ、農耕盛んな肥沃な平野地帯であった。写真は、八木山展望台より眺めた二瀬町の田園。 |
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中世 |
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秋月・大友両豪族者をはじめとする地場の有力者達、笠置・白旗山や許斐(現在の飯塚市幸袋・庄司地区)に城を構える。
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戦国・江戸期 |
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豊臣秀吉に所縁のある小早川・黒田の両氏が勢力をふるう。 |
明治2年 |
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鉱山開拓が自由化したことを機に炭鉱産業が始まる。 |
明治22年4月 |
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現在の飯塚市相田・伊川・伊岐須・片島・川津・横田の6地区が合併して二瀬村が誕生しました。この「二瀬」の地名の由来は、建花寺川と遠賀川の2つの瀬の間にできた平野部分が村の6地区にあたるからと言われている。 |
明治33年10月 |
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官営八幡製鉄所二瀬出張所が開設されたことで、二瀬の名が全国に知れ渡るほどの発展
都市に至ったのです。 (とりわけ、戦後10年間は関東・関西からの行商人がこの地を目指してくるほどでした。若い世代の人達からすれば、嘘のような話ですが事実です)
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※写真は、山笠の奥に偶然写っていたふたせ饅頭(昭和29年頃撮影) |
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昭和30年以降 |
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エネルギー需要が石油へと移行していくに伴い、炭鉱産業が急激に衰退の一途をたどる。
(現在、飯塚市内で炭鉱産業を象徴する施設跡等は極わずかしかありません。俗に「団塊の世代(55歳〜60歳前後)」と言われる方達が炭鉱産業を知る最後の世代となりました。)
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●高雄二坑全景1 |
●高雄二坑全景2 |
●高雄二坑全景3 |
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昭和7年 |
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二瀬村から二瀬町へと昇格。 |
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昭和38年 |
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現在の飯塚市へと移行 |
現在 |
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飯塚市を挙げてかつての炭鉱王「伊藤伝右衛門」邸宅の観光化をするなど、後世に語り継ぐべく活動が盛んにあります。 |
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